新居浜の山奥で練習に明け暮れる日々
――長崎望未さんは愛媛県新居浜市の大島のご出身ですが、今も愛媛には来られますか?
長崎望未さん(以下、長崎):はい!今も年に一、二回は愛媛に行きます。実は私が京都で過ごした高校生時代の途中から、母親が京都に来たので、今は愛媛に実家は無いんです。当時からの愛媛の友達に会いに、新居浜に帰っています。新居浜の大島には小学校1年生までいました。それから大島を出て、四国本土側の新居浜市内に移り、中学卒業まで過ごしました。
――ソフトボールを始めたきっかけは?
長崎:年齢がひとつ下の弟が先にソフトボールを始めていました。当時の新居浜では小学生の男子も、野球ではなくソフトボールをする習慣があったように思います。弟もその一人で、ソフトボールを楽しそうにやっていたので、私もやってみよう、ということになりました。当時女子が3人か4人いましたが、基本男の子中心のチームに入って一緒にやっていました。
――チームの4番打者を務めていたとか
長崎:はい。入団当初はライトとかを守っていて、打順は7番や8番でした。それが5年生や6年生ぐらいには、4番を打たせてもらっていました。
――その後中学生を経て京都の高校に進学しますね。どんな中学生生活でしたか
長崎:ソフトボール以外のことは考えていなかったですね。「プロのソフトボール選手になる」という夢が小学校6年生のときにできたんです。それからソフトボール選手になるためどうすれば良いかを考えて生活していました。中学校の時には勉強も好きではなくて、母親に勉強しなさいってよく言われたんですけど、「私はソフトボール選手になるから勉強してって言わんといて」ってお願いして、それからは母も諦めてもう言わなくなりました(笑)
その分、ソフトボールは頑張っていて、中学生の頃は休日に友達と遊んだとしても夕方の5時まで。それからはバッティング練習していました。部活が終わった後も近くの山の方にティーバッティングができる場所があったので、そこで自主練しました。元々、ある方のゴルフ練習用の場所なんですけど、そこに中学校の野球部の子と行っていました。部活が終わったらそのまま自転車で山に行って、夜8時、9時まで一緒に練習して帰るみたいな生活でした。ティーバッティング場は中学校の近くの山の上の山荘近くにある倉庫にあって、雨でも練習できました。自主練でのティーバッティングはずっと硬式ボールでしていて、普段より小さいボールをずっと打っていたので、そのおかげで中学や高校のときは、ソフトボールの球が打席から見やすかったなという感じがありますね。
京都で過ごした高校三年間!長崎さんは何を思った?
――高校時代は京都で過ごして、インターハイでも優勝されています。京都に行ったきっかけと当時どんな高校生だったか教えてください
長崎:京都の高校に進学しようと決めたのは、当時の私は愛媛にいても、実業団などから目に留まるのが難しいのでは、と思ったからです。「何年も連続でインターハイに出場しているような、全国でも有名な強豪校に行けば、実業団の選手になれるのでは」と。中学時代の夏休みには自分で高校を3校ぐらい選んで、中学校のパソコン室から申し込んで、練習に参加しました。京都西山高校にお邪魔したときに「この高校に進学すれば実業団に入団できる」と思いました。先生の指導がすごく良かったんです。それをきっかけに京都に行ったので、高校3年間は、もう何が何でも実業団に行くんだっという気持ちでしかなかったです。
――1年生からレギュラーの座を掴みましたね
長崎:自分でもソフトボールの実力がどこまであるのかわからない状態で京都に行ったので、レギュラーを取れるとは思ってもいませんでした。1年生の時はとにかく「この環境に慣れなきゃ」という気持ちが大きかったんですけど、当時からレギュラー、主軸も打たせてもらって。信じられない高校生活を1年生のときから過ごしたな、という印象です。
――思い出の試合はありますか
長崎:1年生の時のインターハイ決勝戦ですね。相手のピッチャー、エースの方が、後々有名になる選手だったのですが、その方と勝負できることにすごくわくわくしました。結果優勝したのですが、入学して新チームに加わってからインターハイ優勝するまで、予選や練習試合も全部含めて、1敗もしなかったんですよ。インターハイの最中も、途中からは「優勝するんだろうな」という感覚がありました。2、3年生の頃は、正直に言って「どこまでできるのかな(そんなにできないだろう)」ぐらいの感覚だったのですが。1年生の時は試合に負けたことがなく、勝つことが当たり前になっていたので、その気持ちが優勝につながったと感じています。
――無敗というのはプレッシャーになりませんでしたか?
長崎:何をやってもずっと勝っていたので、きっと負けないんだろうなと感じてました(笑)
――とてもポジティブですね(笑)。中学生、高校生時代が今のご自身に何かに影響してますか?
長崎:一度決めたことはやり遂げないといけない、自分が納得するまでやり切らないと何か満足できない、という気持ちが、当時から根強く残っていますね。「これをやろう」と思ったときの集中力はやっぱり今の自分にも影響しているのかな、とは思います。 それと我慢強さ。高校生の頃とトヨタに入団した時に、忍耐力はかなり鍛えられましたね。
――長崎さんのお好きな言葉「必ずできる」に通じる話ですね
長崎望未さんが地域貢献活動する理由とは?
――現在、YouTubeチャンネルも開設していますね?
長崎:はい。YouTubeは今、ソフトボールのコンテンツをちょっとずつ増やしています。ソフトボールは田舎であればあるほど、例えば「実業団ってどんなところ」とか、高校や大学のことも含め、情報が中々得られないんですよ。野球やソフトボールの経験のない部活の先生が教えていたり。間違った技術が伝わっていたりとか、色んなことが、ただ本を読んで伝えられている、みたいなことが多いのに気が付いたんです。私のチャンネルを見てくれる人の1人でも多くに、こちらの発信する情報が伝わるというか、そんなコンテンツにしたいなという気持ちがあります。ソフトボールの情報発信をしている人は野球に比べても本当に少ないので。私のチャンネルを見てソフトボールをはじめた子どもたちが1日でも長く競技を続けてもらえれば。
――コスメやファッション、エコについても興味があると番組で拝見しました。その中に地域貢献活動にも興味があるのは意外でした
長崎:私は今トヨタ自動車という会社にいるんですが、実は、地域貢献活動を行う部署に所属しているんですよ。そこでは単に「ゴミを拾う」などの地域貢献活動とかではなく、会社のある愛知県豊田市という地域への貢献をしています。例えば豊田市内の子どもたちへのソフトボール教室に参加するとか。あとは豊田市の学校の子どもたちに夢を語る先生として、市の事業に賛同して参加しています。
自分の地元ではまだ何もできてないんですけど、これまでしてきたことから、地域貢献は自然とやらなきゃ、という感覚はあります。
――今後やりたいことはありますか?
長崎:今、地元・愛媛に帰るとソフトボールをやっている子どもたちがすごく減っていますね。新居浜に元々三つあったチームが今一つになってしまっていたり、そういう状況です。スポーツをやる環境が少なくなってきているので、そういう面では、何かきっかけがあって、愛媛に帰ってスポーツのことを発信したいです。ちょっと自分1人では難しいですけど、何か愛媛にできるのであれば。自分が育った場所でもありますし、子どもたちに何か可能性を広げるようなきっかけを大人が作ってあげないと、(子どもたちの可能性が)すぼまっちゃうのかな、という気持ちがあります。
――愛媛の魅力ってどんなところでしょう?
長崎:愛媛ですぐ思い浮かぶのは、ご飯がすごく美味しいことですね。特にお魚が美味しいなと思っていて、愛媛にいた時にはどこのお寿司を食べても美味しかったです。愛媛に毎年帰りますけど、そのたびに美味しいなって思います。
私は15歳までしか愛媛にいなかったので、大人になってからご飯が美味しいことに気づきました。小さい頃は何もそういう感覚は無く生きてきたので、今改めて思うと、ですね(笑)当時は本当に、いつか愛媛から出て行ってやるとかって思っていました。「ここでくすぶってると何もできないんじゃないか」みたいな感じでした。
長崎望未さんから高校生へメッセージ!
――愛媛でソフトボールを頑張っている高校生に向けて何かメッセージをお願いします
長崎:私が愛媛にいた時には、ソフトボールの世界がすごく小さく感じました。ですが自分自身が頑張ることで、いつかその世界が広がっていくんだということをしっかり思って欲しいです。ただ漠然とソフトボールをやるのではなくて、どんな選手になりたいかとか目標を持って欲しい。ソフトボールをやることで、きっと友情だったり、団結が生まれてくると思うので、そういったソフトボールでしか味わえないこと、今しかできないことを思い切ってやって欲しいなと思います。
最後の質問!長崎望未さんが感じる「まじめ」とは!?
――長崎さんの感じる愛媛県民のまじめなところはどこでしょう?
長崎:愛媛の人は、例えば、自分がこうだと思うことが、他の人にそれぞれいろんな意見があっても、過半数で「これ」という意見が多かったら、その意見に賛同するというか・・。常識を覆せない、違う意見を中々言えないイメージがあります。「私はこう思うけど、でもみんながそう言ってるし・・」というような。結構、愛媛の人は県外に出ない人が多いと思うんですよ。出てもすぐに戻ってきたり。それは多分外に出ない人が多いから、自分には夢があっても、みんな(外に出ないで)いるし、「自分だけ外に出ても・・」みたいな思いがあると感じます。そこはすごく「まじめ」だなと思っています。
自分の気持ちをもっと出して、かつてやりたいことをやれなかった人が今後やったらいいなと。私が学生のときも、色んなことをやりたいと言ってる友達がいても、結局みんながそこにたむろしているから、その本人もそこにいる、みたいな人が多かったです。
そんな感覚があるので、そこがすごく「まじめ」な点かなと思います。みんな同じ道というか同じ方向に正しく向かおうみたいな。それはいい意味でもあると思うんですよ。一体感があるし、何か例えばお祭りしようって言っても、盛り上がりますよね。
――長崎さん自身は、クレジットカードと銀行のカードを財布の中できっちり分けるようにと、お母さんに言われたと聞きました
長崎:そうですね(笑)ある時、母親から「(カードによって)お金が出るのと、入るのとが違うから、一緒にすると縁起が悪いんよ」みたいに言われたことがあって、財布を買ってからはカードを入れる場所が同じにならないように気をつけています。
――「まじめ」なエピソードですね(笑)今日はありがとうございました!
撮影/木原隆裕
長崎望未
1992年6月19日愛媛県新居浜市生まれ。元ソフトボール選手。
2011年にトヨタ自動車女子ソフトボール部に入部し、初出場のソフトボール日本リーグで本塁打王、打点王、ベストナイン、新人王の四冠に輝く。
2014年には日本代表入りを果たす。2020年に引退してからは、YouTubeチャンネル「のんストップ」やスポーツアパレルブランド「nopon」を立ち上げるなど、スポーツの普及活動に注力している。