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「野球王国の愛媛、ぜひプロ新球団を」古田敦也さんが愛媛と野球を考える

野球王国と呼ばれる愛媛。俳人・正岡子規は、当時日本に伝わったばかりのベースボールに夢中になり、ふるさとの松山にバットやグラブを持ち帰ったといいます。またベースボールを、自身の名前「升(のぼる)」から「野球(のぼーる)」と読んだそう。そうした歴史的な背景もあり、野球は多くの愛媛県民に愛されています。

そこで今回は、言わずと知れた“スワローズのレジェンド”古田敦也さんに、愛媛と野球についてお話を伺います。取材の席につくと「何でも聞いて! 僕にできることなら、何でも答えるよ!」と笑顔を見せてくれた古田さん。愛媛におけるスポーツイベントの魅力や、意外なつながりを教えてくれました。


松山で2000本安打達成。つば九郎に「ペン持ってきて」


――今日は「愛媛と野球」をテーマに、古田さんにお話をお伺いしたいと思います。古田さんは、愛媛にゆかりがあると聞いたのですが…。

古田
もともと親父が愛媛県出身なんですよ。実家があったのが、以前の北宇和郡広見町という場所で、現在の宇和島市の近く。とはいえ僕自身は、1度か2度しかその家を訪れたことはないんです。小学3年生から少年野球のチームに入って、野球ばかりやっていたのでね。だから実家については、鮮明には覚えていません。

 

でも少年野球の遠征試合で、何度か愛媛に訪れたことがあります。愛媛は“野球どころ”として有名ですから。訪れたときに印象的だったのは、海ですね。船に乗って行ったんですけど「うわぁ、きれいな海やな」と思った記憶があります。少年時代の楽しい思い出です。

 

――2005年には、松山市の松山中央公園内にある野球場、通称「坊ちゃんスタジアム」で、通算2000本安打を達成されました。その時のことは覚えていらっしゃいますか?

古田
ええ、よく覚えています。実を言うと、松山の試合の前に、ヤクルトの本拠地である神宮球場で3連戦があって「この期間内に、古田は2000本安打を決めてくれるはずだ」って連日超満員になっていたんですよ。でも打てなくて。それで松山に移動し、坊っちゃんスタジアムで行われた対広島戦で、ようやく打てた。松山で2000本安打を達成することになって、結果的にはよかったと思います。なぜなら松山の皆さんが、すごく喜んでくれたから。親父の出身地である愛媛で記録を達成できたことも、嬉しかったです。

 

そういえば、事前に「2000本安打の記念のボールは、サインをしてスタンドに投げよう」って決めていたんですよ。つば九郎に「花束と一緒に、ペン持ってきて」ってお願いして(笑)。

 

――2000本安打を記録した、大事なボールを?

古田
記念のボールやバットを自分の家に飾る人もいるけど、僕は、自分で持っておくよりも、みんなに見てもらって、喜んでほしいんです。だから、そのときは2000本安打を達成したボールに「2000本安打」「松山」と書き込み、サインをしてライトスタンドに投げました。

 

それから何年か後に、坊っちゃんスタジアムの野球歴史資料館「の・ボールミュージアム」に行ったら、そのサイン入りのボールが展示してあった(笑)。「えっ、なんでここにあるんや」って(笑)。キャッチしたファンの方が寄託されたみたいです。その方も「自分だけが持っておくよりも、みんなに見てほしい」と思ってくださったのかもしれませんね。

 

「オールスターゲームを松山に」誘致活動を応援

 

――野球王国とも呼ばれる愛媛では、野球をテーマにしたお祭りやイベントがたびたび行われています。古田さんの印象に残っているイベントはありますか?

古田
2002年に、四国初のプロ野球オールスターゲームが、坊っちゃんスタジアムで開催されたことですね。実は僕、そのはじまりに立ち会っているんですよ。開催の数年前に、当時の松山市長で、現在の愛媛県知事である中村時広さんと会う機会があったんです。そのときに中村さんが「松山にオールスターゲームを誘致したい」と、熱心に話してくれた。僕も「ぜひやったらいい。僕にできることがあればします」と伝えました。

 

その後、中村さんや松山市の方たちを中心に尽力されて、見事実現に至った。すごいですよね。大きなイベントを誘致するときは反対の声も多いし、実現するまでには大変な苦労がありますから。

 

――ちなみに、本州と四国を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」で、サイクリングを楽しまれていたことがあると耳にしたのですが…。

古田
そうそう。しまなみ海道は、本当に景色が美しくて、気持ちよく自転車が漕げる場所ですよね。以前「この場所で国際的なサイクリング大会をやりたいと考えているんだけど、なかなか難しくて…」という話を耳にしたことがあって。それで「ぜひこの美しい場所でやるべきだ」と、いろいろと背中を押したんです。そのイベントも実現したから、良かったよね。

 

――しまなみ海道を舞台に行われる「サイクリングしまなみ」(国内最大級のサイクリングイベント、2014年に初開催)ですね! 古田さんは、愛媛で行われてきた、さまざまなスポーツイベントの立ち上げを応援してこられたのですね。

 

プロ球団を持つことは、いつかその町の「誇り」に

 

――そんな古田さんから見て、今後の「愛媛と野球」を盛り上げるために、どんな新しい施策やイベントがあれば良いと思いますか?

古田
プロ野球の新設球団を、愛媛に迎えられたら最高ですね。最近は、プロ野球のさらなる発展を狙って、現在のセ・パ2リーグ12球団に、さらに4球団を追加するエクスパンション(球団拡張)の構想が立ち上がっています。四国の他県を巻き込みながら、坊っちゃんスタジアムを本拠地にして球団を新設するチャンスは十分にあると、僕は思いますよ。

 

土地の魅力はいろいろあるけれど、スポーツというエンタメが担う役割は大きいんじゃないかな。たとえば福岡では、繁華街に行けば地元の人たちがお酒を飲みながら「うちのソフトバンクホークスが一番だ」と語り合っていますよ。その地域に根付いたプロチームがあることが、地元の人たちにとっては町の誇りに変わっていくのでしょう。実現までにはさまざまなハードルがあるとは思いますが、野球王国の愛媛には、ぜひプロチームを有する町になってほしいです。

 

 

ムリと言われても、やると決めたら真剣にやる。それが「まじめ」

 

――愛媛県では、県民性のひとつである「まじめ」を統一コンセプトとして、もっと愛媛のことを知ってもらう「まじめえひめプロジェクト」を展開しています。古田さんは愛媛県の人たちと関わる中で「まじめ」と感じたことはありますか?

古田
ああ…結構あるかもしれません。というのも、僕の思うまじめとは「奇抜なアイデアや、誰もが実現しないだろうと思うことに対しても、やると決めたら真剣に取り組む」ということなんです。

 

オールスターゲームの誘致にしても、「サイクリングしまなみ」のイベントにしても、構想段階では「実現するのは不可能だろう」と思っていた人も多いのではないでしょうか。でも「絶対に愛媛で実現させたい」と考えた人たちがいて、真剣に取り組んだからこそ、一見すると難しそうに見えるアイデアが現実になった。そのように、愛媛という場所には、どんなことにもまじめに取り組む風土があるんじゃないかと思いますね。

 

――なるほど。発想するときは自由に、やると決めたら真剣に取り組むことが「まじめ」だということですね。

古田
そうそう。今、愛媛県今治市をホームタウンとするサッカークラブ「FC今治」が、新しいスタジアムを建設しているでしょう?(里山スタジアム。2021年11月に着工、2023年1月竣工予定)。僕はFC今治のアドバイザリーボードのメンバーを務めているのですが、広大な自然に囲まれた土地に、6000人を収容できる大きなスタジアムをつくろうという計画が持ち上がったときに、反対した人はきっといただろうと思います。「本当にお客さんが入るのか?」って疑問に思う人も。僕も正直なところ、最初に話を聞いたときは「素晴らしいアイデアだけど、実現までこぎ着けるのは大変だ」と思いました。でも、今もう、造ってますもんね。びっくりやわ。オーナーである岡田武史さんや、周りの人たちが、実現することを信じてまじめに動いた結果だと思います。

 

僕自身も選手兼任監督時代は、みんなから「えっ」と言われる奇抜な企画を考えて、数多く実現させてきました。めがねを着用して入場したファンには景品を贈る「めがねDay」とかね。最初のアイデアは「おもしろそう」「やってみたい」と思うことを、自由に発想していいんです。でも、やると決めたら、真剣にやる。もしかしたら周りの人から「無理じゃない?」と言われるかもしれないし、失敗するかもしれない。それでもまじめに取り組むというのが愛媛の人たちのすごいところだし、誰にとっても大切なことだと思いますね。

 

取材・文/塚田智恵美  撮影/木原隆裕

 

古田敦也

1965年8月6日兵庫県生まれ。
1990年ドラフト2位でヤクルトスワローズへ入団。2005年4月24日には愛媛県「坊っちゃんスタジアム」にて、通算2000本安打を達成。2006年にはプロ野球史上29年ぶりとなる選手兼任監督へ就任した。2007年現役と監督退任を同時に発表し引退。引退後はスポーツキャスターや講演活動でも活躍中。

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