当サイトを最適な状態で閲覧していただくにはブラウザのJavaScriptを有効にしてご利用下さい。
JavaScriptを無効のままご覧いただいた場合には一部機能がご利用頂けない場合や正しい情報を取得できない場合がございます。

鳥取県出身・元バレーボール選手の山本隆弘さんに色々聞いてみた!

 

山本隆弘さんが「変わった」きっかけとは

 

――現役時代を振り返って、オリンピックも経験されている中で、印象に残った試合を教えてください

山本隆弘さん(以下、山本) 自分自身の考え方が変わるきっかけになった試合が、2002年の世界選手権、アルゼンチン大会での試合です。1次ラウンドをギリギリ通過して、二次ラウンドも1敗した後、2試合目で地元アルゼンチンとの試合で、フルセットで負けてしまって、二次ラウンドでの敗退が決まったんです。3試合目にはブルガリアとの試合が残っていましたが、僕自身は足の脛を疲労骨折していたので、ドクターストップがかかっていました。

ですがブルガリアとは後のオリンピック最終予選で当たる可能性があるということと、二次ラウンド敗退が決まったので、逆に自分を試せるいい機会だなと思い、ドクターストップを振り切って試合に出たんです。セットカウント1対2で負けているときに、チームスポーツですし、自分1人で何もかもやるってのは良くないとは思いつつも、セッターにトスを全部持って来いという指示を出して、全部トスをもらって、全部アタックを打って逆転勝ちをしたんですよ。たまたまリベロが、僕が指示をしているのを横で聞いていて、試合後、彼に「真のエースになったな」というようなことを言われたことが一番印象に残っています。それまでは勝っても負けても「山本(が原因)」と世間に言われていて、自分がどれだけアタックを決めても、負ければ自分のせいにされていたので、ちょっとストレスがあったんです。

一度自分自身で試してどうなるか確認するためにトスの指示をしたのですが、その指示を聞いたリベロに「個人プレーに走っている」と思われたのではなく、成長したと言われたので、そのあたりからちょっと考え方が変わったのかなと思います。

 

――自分自身を試したかったのですね

山本 自分1人でプレーをして、自分で打って負けたのであれば自分が納得できると思い、それを試したいなと。ブルガリア戦はそれを試せる絶好の機会で、試してみて逆にそれはチームにとってプラスだったんです。それまでセッターがどこにトスを上げるかは、僕らにはそれはもうなんとも言えず、任せていた部分なんです。それを「全部持って来い」と言って。トスを全部くれたセッターもセッターだと思いますが(笑)自分は常にトスを呼び続けなきゃいけないポジションなんだなと。すごく改めて感じましたね。

 

山本隆弘さんと愛媛のつながりは・・お尻から!?

 

――最近愛媛にはいつ来られましたか?また初めて来県された時の印象も教えてください

山本 愛媛には毎年行きます。今年は5月にバレーボールの小学生の教室で新居浜市と今治市に行きました。その教室は毎年やっていて、八幡浜でも毎年、小学生の大会を運営しています。
実は愛媛県を初めて訪れたのは高校1年生の時なんですよ。膝の半月板を損傷して、膝がガクガク外れそうな状態のときに、愛媛県にゴッドハンド(神の手)と呼ばれる先生がいるということで、治療に毎週のように通っていました。鳥取から車で岡山に出て、そこから松山へ電車で通ったので、4時間以上かかるし、愛媛に行くとお尻が痛くなるなと思っていました(笑)

 

――その「ゴッドハンド」の先生はどんな治療をするのですか

山本 料金が決まっていなくて、自分の気持ちでお金を置くんですよ。先生は手をすごく温めて、痛い箇所に当ててきて「ええ!?」と驚きましたが、気功みたい感じでしょうか。わからないのですが、膝は良くなりました。歩けるようになったし、ジャンプしても膝が外れる感覚が無くなったんです。

 

――当時は「お尻が痛い」という印象なのですね(笑)

山本 4時間かけて向かって、1、2時間治療してもらってまた戻るというサイクルでしたから。その時はそんな印象でしたけども。大人になってからは、ご飯が美味しいなと思います。松山の二番町のお店とか。冬には紅まどんなも美味しいし、甘平も美味しいですよね。宇和島鯛めしも好きです。

 

――そんな愛媛県で、小学生のバレーボール大会の「T-FIVE CUP」の四国大会を開催されていますが、開催のきっかけや思いを教えてください

山本 僕がプロ契約第1号の選手として現役引退して、バレーボールに対して何か還元できることはないかと考えたときに、当時の全国の小学生の大会というのは、8月のお盆に全国大会。3月にスポーツ少年団に入ってるチームであれば交流大会という、この二つしか無いんです。小学生は一番成長する時期なのに、試合が無いという状況ですね。特に東京などチームが多いと、3月、4月ぐらいから予選が始まって、負けてしまえばもう全国大会出場は無く、あっても関東大会まで。そうなると目標を失ってしまうんですよ。大きな大会をある程度チームが完成したときにできるような状況を作ってあげたいなと思い、まず最初「T-FIVE CUP」関東大会からスタートしました。

毎年2会場ずつぐらい増やしていったのですが、たまたま愛媛国体の3年前から、中村時広愛媛県知事と知り合い、国体盛り上げましょう、という話の中で、愛媛県内のほぼ全域でバレーボール教室をしました。そのうち八幡浜市が愛媛国体のバレーボール会場でしたが、八幡浜市の大城一郎市長から是非うちで四国大会をしましょう、と言ってもらい開催に至りました。四国大会は愛媛国体のレガシーとしても八幡浜に残したいという思いもあり、また四国の一番端っこで、なかなか人が来ないこともあって、八幡浜に人を呼びたいということ、それと体育館の横に温泉ができましたので、その温泉のPRも兼ねて、ということですね。

 

――全国各地で大会を開催されていますが、各地の小学生の競技環境はいかがですか?

山本 潜在能力の高い子も多いので、そういう子供たちにやっぱりバレーボールの本質を知ってもらいながら、楽しさも知って、自分たちから夢や目標を持てるような環境を作ってあげたいですね。中には子供はバレーボールをやりたくても、家計が苦しいからバレーボールができないという子や、全国大会の切符を取ったけども、お金がかかる全国大会には行かせたくないという親御さんもいると聞いています。

なので、私たちの大会は参加費無料にしようというところは、もう徹底してやっています。子供がやりたくてもできませんっていう環境だけは作りたくないなと。子供がやっていることに関して純粋に親がしっかりと応援できる環境を整備しないと、日本の未来が暗くなってしまうので。そこは意識してやっています。

今、北信越だけは来年からですが、全国各地の地方大会はできています。今後いかに全国大会の開催にまで持っていくのか、というところまでは来ていて、四国大会の開催中でもよく言われるのは、早く全国大会を作って、と。そんな声はもうそこら中で言われていて、早く作りたいと思っています。僕の構想では参加費無料と全国大会への監督と選手の渡航費は免除してあげたいなと。その思いがあるので、ある程度寄付も募らなくてはいけません。賛同していただける企業を募りながら他の事をやらなければいけないのですが、僕の体も一つしかありませんし、なかなかそこまで動くことができていません。課題ですね。

 

――大きなスポンサーが必要ですね

山本 全国大会をやるには、どうしても3000万円ぐらいは必要ですね。地方大会だけであれば、今のままで大丈夫なのですが。実は知名度が上がってきて、どの大会も参加チームが増えています。そうなると会場を増やす必要があり、予算も上げて、落選チームも出さなければならない状況も出てきます。その辺りは今議論してる最中です。

 

 

四国インターハイ開催中!山本隆弘さんのインターハイの思い出は・・アツさ!

 

――山本さんがインターハイ出場の際のエピソードがあれば教えてください

山本 僕は3年間出場したのですが、一番印象に残ってるのは山梨での大会。予選のあった体育館が暑くて。当時まだサイドアウト制でサーブ権がないと点数が入らなかったので、1試合に2時間かかったりするんですよ。今はエアコンをつけるとか、コート1面しか取れない狭い体育館では試合しないとか対策しています。僕らが高校生の頃はもうインターハイがほぼその年のラストの大会だったので、そこに懸ける想いってのはすごく強かったですね。下級生として3年生とずっと一緒に試合したいだとか、自分が3年生であれば、良い結果を出して終わりたい、という大会でした。自分の高校3年間を懸けた戦いのような感じです。

 

――今、四国インターハイで高校生が愛媛にたくさん集まっています。どんな魅力を感じて欲しいでしょう

山本 食事も美味しいし、海も綺麗。また歴史も感じたり・・ということもありますが、今の高校生はコロナ禍がこれだけ長く続いて、自分たちがやってきた練習の成果を出す場面が中々無かったわけです。愛媛の最高の空気を吸って、笑顔で終わってほしいなと思いますね、選手みんなが。特に今なんて、コロナウィルス陽性者が急激に増えて、いつどこで感染するかわからない厳しい状況かもしれないですけども、誰もかかることなく、勝ち負けはあるかもしれないですけども、それを抜きにしても、しっかりとみんなでここまでやってきてよかったねと、そんな形で終われる大会にして欲しいです。

 

山本隆弘さんの思う「まじめえひめ」とは!?

 

――山本さんが愛媛の皆さんに対して「まじめ」だなと思うことがあれば教えてください

山本 まじめ・・特にバレーボールに関して言うと、時間はきっちり守りますね。後片付けとかも率先してやりますね。来たときよりも綺麗にして帰る、アスリート精神というか、そういうのが自然と身に付いているのか、指導されているのかわかりませんが、すごいなと思います。親御さんも率先してくれて。僕らは教室や大会を本当に気持ちよく終わらせてもらっています。その辺は他の都道府県と違うなと思います。

 

――ありがとうございました!

 

山本隆弘

1978年7月12日鳥取県生まれ。元バレーボール選手。
中学1年でバレーを始め、その後、バレーボールの名門鳥取商業高校へ進学。バレーボール全日本ジュニア代表や全日本ユース代表にも選出される。
その後は日本体育大学に進学し、全日本代表に選出され、2000年4月の日米対抗戦でエースとして日本デビューを果たす。2004年には日本人バレーボール選手としては初めてプロ契約を結び、プロバレーボール選手となる。
2012/2013年シーズンで現役を引退してからは、バレーボールで培った経験を生かし、小学生バレーボール大会「T-FIVE CUP」を企画・開催するなど、バレーボールの普及活動を行っている。

最新メディア一覧へ